どうも皆さんこんばんは、gabigonです!
今回は、中村高康さん著書の「暴走する能力主義」について書評を書いていきたいと思います。
今回紹介させていただく本は、一言でいうとこれから来る未来には、常に新しい教育が必要であると訴えている本で、教育は時代によって変わりゆくものなんだよと私達に教育のこれからのあるべき姿について、熱弁されている本ですね。
ということで、ここからは章別の解説に移っていきます。
測定不能の能力
この本で言う、「暴走する能力」というのは、測定不能の能力のことを指しています。
具体的にそれが何なのかというと、それは例えば学力だったり、暴力だったり、いずれの抽象的な能力も、完全に測定することは不可能だということですね。
これらの能力は、例えば暴力が分かりやすい例なのですが暴力の具体的な数値とかって皆さんはパッと頭に思い浮かびますか?
学力だったなら、学力テストなどで偏差値というある程度測定可能な数値として出るかもしれませんが、それが暴力ならば話は別です。
僕自身も全くイメージできませんでしたが、このような具体的に数値化ができない能力のことを筆者は「暴走する能力」と本書の中では述べているわけですね。
メリトクラシー(能力主義)の生まれ持った運命とは?
本書で触れられているメリトクラシー(能力主義)は、生まれつき批判される性質をもった運命にあると、筆者は述べています。
何故ならば、こうした能力主義、例えば現代では学歴主義とも呼ばれる風潮は信頼できない指標であると批判的な意見を持つ方が一定数以上存在すると筆者は述べています。
僕自身も、昔不登校だった経験から、ひどい学齢コンプレックスに陥ったものですが、そういった能力や肩書きでしか人を見られなくなる、という批判的な意見も一定数以上あるわけですね。
僕自身もそういった意見はないわけではないので共感できる部分はあります。
やはり人は履歴書などを見ても学歴などといった能力から偏見を持ってしまうパターンもあるわけですね。
まとめ
ということで、ここからまとめです。
今回は、中村高康さんの書かれた「暴走する能力主義」についてレビューしてみました。
簡単にまとめると、人を表面的な能力のみで判断してはいけない、というところでしょうか。
我ながらきれいにまとめられた気がする………。
最近は確かに学歴フィルターなるものもよく見聞きするので、こういった能力主義や学歴主義は、生まれ持って批判的な意見を受けることになる宿命を背負っているということですね。
私自身も、そういった学歴に関しては学歴コンプレックスを患っていたこともあり、共感できる部分も多い一冊でした!!
ここまで読んで下さりありがとうございました!!
今回は以上です、他にも書評を書いているので、そちらも是非読んで下さるとモチベーションに繋がります。
では、ばいばい!!