品田茂「日本一小さな農業高校の学校づくり」
農業高校の魅力
ニワトリの解体実習、真夏の糞出し作業、なんと校内食料自給率70%以上の給食…農業高校自体についてほとんど何も知らない僕にとっては、新鮮なことばかり。この本の前半は、愛農高校の紹介と、その歴史について割かれている。この本はただの「校舎建て替え記」ではなくて、農業高校それ自体について書かれている前半部分も興味深い。ここで育つ高校生、いい経験積んでいるなあと思う。「食」についてここまで徹底的に学べる環境って、他にないよね。
校舎づくりのプロセス
第三章からはいよいよ筆者が中心メンバーの一人だった校舎の建て替え記。理想の教育について語り合うこと。そして良い建築家に出会うこと。最初はきまずい空気もあった校舎の建て替え委員会が、こうした活動や出会いを通して軌道に乗っていく様子が、読んでいて心地よい。当初は3階建てだったものを2階にするって、相当勇気のいる発想だと思うけど、これがあったから安い値段で改築することも可能になったのだ。
いろいろなエピソードの中では、普通の学校建築ではほとんど無視されて画一的になりがちな、でも毎日使うものであるトイレの設計について何度も「トイレのあり方会議」を開いたこと、そして男子トイレと女子トイレではまるで違うデザインになったという話が好き。出来上がった校舎も質素ながら木造のあたたかな校舎で、本当に素敵。賞を受賞したというのも納得だ。リンク先からぜひ眺めてみてください。いいでしょ? 一回実物を見てみたいなあ…。
ピーター・ジョンストン『言葉を選ぶ、授業が変わる!』
教師の語りが教室をどう変えるか
「教師の語り」に注目した本はおそらく数多いのだと思うが(あまり読んだことがないのでただの推測です…)、この本は「こう生徒を動かしたければこう話せ」的な本ではない。教師自身があまり意識しないような言葉のはしばしに、その教師が持つ価値観が表れていること、そして、そうした言葉を通じて生徒になんとなく伝わる教師の姿勢や期待が、即効性はなくとも、実は年間を通じた授業の質に影響するのではないか、ということが、事例とともに丁寧に書かれている。
話し合いをしないグループにどう声をかける?
例えば、グループ活動中に、あるグループの話し合いの質が低下して、他のグループの迷惑になっている時、あなたはどんな風にこのグループに言葉をかけるだろうか。真面目にやるように注意する? 実は、この本に収録されている先生は、生徒たちに何が問題なのかを尋ねた上で、次のように聞いているのだ。
話し合いがいつ終わるのをどうして決めたらいいのかがわからなくて困っているようね。話し合いが終了したことをどうやって決めたら良いのですか? (p187)
この返し方はいいなあと思った。「ふざけるのはやめなさい」という注意ではなく、「こうしなさい」という指示でもなく、問題を特定した上で、その解決策を考えるように促している。この言葉は、生徒たちが自分で問題を解決できる、というメッセージになっている。
さまざまな教師の語りの事例
この本では、上記のようなさまざまな教師の語りの事例が、「気づくことと、名づけること」「アイデンティティー」「主体性、そして選択するということ」「柔軟性と、活用すること」「子どもにとって「知ること」とは」「民主的な学びのコミュニティーをつくり続けるために」「あなたは、「誰と話している」と思っていますか?」という7つのカテゴリに分けて収録されている。いくつか印象に残ったものを書き出してみよう。
誰か違った読み方/書き方を試してみた人はいますか?(p36)
何か発見したパターンがありますか?(p46)
自分も書けたらよかったなあと思っていたものがありますか?(p47)
あなたらしくないわね。(p69)
あなたは自分を誇りに思っているのね。(p70)
作家として、あなたは今日何をするのですか?(p72)
今日はどんな問題に遭遇しましたか? 他に同じ問題を抱えた人はいますか? あなたはどう解決しましたか? 他に解決する方法はありますか?(p89)
あなたはこれをどうするつもりですか? この文章はここからどう展開するのですか?(p90)
「でも」ではなく「さらに」を使う言い方で、選択肢を提供する(p93)
作者はなぜその言葉を選んだのでしょうか? 他にどのような言葉を使えたでしょうか?(p101)
私の間違いを修正してくれてありがとう。(p149)
私たちはどうやって確かめることができるでしょうか?(p153)
それについて彼女はどう感じていると思いますか?(p174)
授業中のこうした具体的発言を事例として、こういう言葉がけがどのような暗黙の意味を持っているかが丁寧に解説されているのだ。とても参考になる。
Humankind(ヒューマンカインド)希望の歴史
Humankind(ヒューマンカインド)と何か。
僕もこの本を読んで初めて知った言葉でした。
みなさんは人間は生まれつき「善い生き物」か「悪い生き物」のどちらだと思いますか?
調べてみたのですが、一般的に前者を「性善説」、後者を「性悪説」と呼ばれています。
そこで今回は「Humankind 希望の歴史」を紹介します。
本書では人間の本質は善であるという立場でさまざまな考察がおこなわれています。
かなり読み応えのある1冊でした。
それではさっそく見ていきましょう。
本のタイトル
Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章
著 ルドガー・ブレグマン
訳 野中香方子
本の要約・ポイント
本書のポイントは「人間は善である」ということです。
人間は善か悪かという議論を何千年と私たちは続けていたのですが、本書は「人間は本来、善である」という性善説のスタンスをとっています。
そこで著者は「人間はもともと悪である」という性悪説を裏付けるようなこれまでの心理実験や歴史を覆すような事実や考察をおこなっています。
さらに人間は善い生き物であることを裏付けるような事例や研究を解説したうえでどのようにすれば明るい未来をつくれるのかまで話を広げています。
そのうえで「人間は親切な生き物であるということを前提にした社会をつくることが大切」だと著者は述べているのです。
ここで、「性善説」や「性悪説」という言葉が出てきたのでまずはこの2つの議論についてみていきましょう。
性善説と性悪説は「人間はもともと善な生き物か悪な生き物か」という哲学的な問いになります。
あなたはどちらだと思いますか?
歴史や周りの人の様子を見てみると、
犯罪
戦争
蹴落とし合い
上記のような悪いことイメージもありますし、
国際的な援助
モラルや秩序
親切
反対に人間には親切な一面もあることがわかります。
そして人間はこの2つのどちらなのかという議論はかなり古くからおこなわれているのです。
世界史や倫理を学校で学んだ方なら聞いたことがあると思いますが諸子百家たちの時代から議論されています。
性悪説を唱えた思想家
荀子
フロイト
ホッブズ
性善説を唱えた思想家
孟子
ルソー
ロック
このように教科書にのっているレベルの人でも意見がわかれ、さまざまな見解があります。
なおなお
すごく親切な人もいるし、人をだましたり犯罪をする人もいるし~、どっち何だろう?
もちろん生まれながらだけでなく、その人の育ちや周りの環境の影響もあるので一概には言えないと思います。
しかし、これまでの人生を振り返ってみると、身近な人は悪い人よりも善い人のほうが多いというイメージです。
ニュースやインターネットでは悪い情報が溢れかえっているのですが、それは意図的にネガティブなニュースばかりを集めているのだと思います。
なおなお
ネガティブなニュースのほうが注意を引くので数字を取りやすいのだと考えられます。
それにニュースになるほどの事件に巻き込まれるよりもハッピーな出来事に遭遇する機会のほうが圧倒的に多いはずです。
このように考えると私も人間は本来親切な生き物なのではないかという著者の意見に賛成です。
みなさんはどう思いますか?
性善説と性悪説の議論は数千年続いている
ネガティブな出来事よりもポジティブな出来事のほうが遭遇する割合が高いかもしれない
まずは相手を信じよう!
性善説の立場に立つなら、相手を疑わずに信じたほうが得をします。
当然のことがですが用心深くなるだけでいろいろと疲れますし、相手から信頼を得にくくなるでしょう。
なので、私は基本的には相手を信頼するようにしています。
そして裏切られたらこちらも接し方を変えればよいのです。
なおなお
ゲーム理論ではこのやり方をしっぺ返し戦略と呼び、リターンを大きくすることができると言われています。
私の個人的な意見ですが、生涯を通して相手を信じることのリターンが裏切れられる損害を上回っているのなら裏切りを許容するべきだと思います。
なおなお
損害によって命にかかわってくるので何とも言えない部分はあるのですが…
なので、そこまで命にかかわらない仕事や組織はルールや規則で縛りすぎずにある程度、良心やモラルに任せたほうが良いのかと思います。
仕事ならルールが少ないほうが気持ちよく働けますし、何と言っても疑われている前提であれば仕事も人間関係でもストレスです。
もし会社のルールや家庭のルールが厳しければもう少しメンバーたちを信じて任せてみるのも良いかもしれませんね。
それに何と言っても人を疑って対策を考えながら生きるのは精神的につらいと思います。
なので、疑い深い人も少しは相手を信頼してみるというのも良いのではないでしょうか。
相手を信じたほうが結果的に得をする可能性がある
まとめ 私たちに希望を与えてくれる1冊
いかがだったでしょうか。
インターネットやテレビを見ているとついつい「人間はだめなやつが多いな」と思ってしまいます。
しかし、実際にはそんなことはないと本書読めば誰もが思うはずです。
そして本書は性善説を信じている人に希望を与えてくれる1冊です。
「人間は本来、善い生き物である」
このようなスタンスの社会をつくればきっと明るい未来が待っていると思います。
ということで今回は以上になります。
それでは、また!
両利きの経営ってなに?
どうも。
今回紹介する本は「両利きの経営」という本です。
なおなお
ん?両利き?
両利きの経営とはいまの事業を安定化させること、そして新しいイノベーションの両方を起こせる経営のことを指しています。
つまり、攻めにも守りも強くなる方法というわけです。
多くの大企業は安定性を求めるばかりにイノベーションを起こせない、中小企業はイノベーションは起こせるが安定化させられない…
本書はこのような矛盾を両立させるための指南書になります。
それではさっそく見ていきましょう。
本のタイトル
両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く
著 チャールズ・A・オライリー、マイケル・L・タッシュマン
監訳 入山章栄
解説 冨山和彦
訳 渡辺典子
本の要約・ポイント
本書のポイントは次の3点になります。
深化と探索が両利きの経営のキーワード
両利きになれる4つの状況
リーダーシップが両利きの経営を実現させる
今回の記事ではこの3点についてもう少し深く掘り下げていきたいと思います。
深化と探索が両利きの経営のキーワード
両利きの経営をするためには「深化」と「探索」の両方が必要になると本書では説明されています。
この2つの意味を簡単に説明しますと、深化とは既存の事業を安定化させることです。
そして探索は新規事業に力を入れることです。
なおなお
つまり、いまおこなっている事業を成熟させながら新しいことにも挑戦することが大切なのです!
しかし多くの企業はこの2つを両立できていません。
中小企業は当然のことながら成熟した事業を持っていないことが多いです。
しかし、イヤでも新しい事業に挑戦しなければならないという風土はあります。
反対に大企業では成熟した事業にしがみつきすぎて、新しいことに挑戦する風土が形成されにくいという傾向にあるのです。
なおなお
一昔前までは安定が何よりも大切だったのかもしれませんが、変化の早い現代ではイノベーションを起こさなければ大企業といえども衰退してしまいます。
ビジネスパーソンである私たち個人でも安定志向だと将来的にまずいのと同様に経営も安定志向だとこの先危うくなってしまうのです。
なので、経営でも既存の資産や組織を深化させながら、それらを利用して新しい資産や組織をつくっていかなければならないと本書では述べられています。
両利きの経営は口で言うことは簡単ですが、周りの企業がそうでないことからわかるように、実践するにはかなりの難易度です。
なので、次に両利きになれる状況について説明していきます。
既存の事業や組織を最大限生かしつつ、新しい事業や組織を形成することが大切
両利きになれる4つの状況
本書では両利きになれる状況として次の4つをあげています。
明確な戦略的意図
経営陣の保護や支援
対象を絞って統合された適切な組織アーキテクチャー
共通の組織アイデンティティ
本書ではこの4つが両利きの経営には不可欠だと述べています。
言葉だけで見ると難しく聞こえますが、
戦略
経営陣の支援
適切な組織構造
共通の価値観や考え方
この4つが重要です。
戦略がなければどうしたら良いのかわかりませんし、経営陣の理解がなければそもそも実行すらできません。
そして戦略通りに動ける組織がなければ目標を達成できませんし、組織の価値観や考え方がバラバラだと進むべき方向があいまいになってしまいます。
このように考えるとこの4つのポイントはとても重要そうに見えると思います。
なおなお
4つのポイントを具体的に詳しく書いてしまうとすごい文章量になってしまうので詳しいことが気になった方はぜひ本書を読んでみてください!
この4つのポイントを見て気づいた方もいるかもしれませんが両利きの経営を実現するには経営陣や組織のリーダーの存在が不可欠です。
なので最後にリーダーシップの大切さについて触れていきましょう。
戦略・リーダーの理解や支援・組織構造・組織の共通のアイデンティティが両利きの経営には不可欠
リーダーシップが両利きの経営のカギを握る
両利きの経営を一人の平社員が実現することは不可能に近いです。
まず、組織の腫れ物扱いさせて相手にされないと思います。
なのでどうしても両利きの経営を実現させるには経営者や組織のリーダーが両利きの経営を志す必要があります。
なおなお
先ほど紹介した4つの状況を見ればわかるように権限のない社員には限界があることがわかります。
そこで本書ではリーダーの役割として次のポイントを説明しています。
幹部チームを巻き込む
深化と探索の葛藤が生じるポイントを把握する
深化と探索の対立に向き合い、バランスをとる
深化には利益と規律を求め、探索には実験を推奨するという一貫して矛盾したリーダシップを発揮する
深化や探索の議論や意思決定に時間をかける
少し理解しにくいのは2番目だと思いますが、深化と探索をおこっているとどうしても対立してしまいます。
簡単に言えば攻めと守りを両立するわけですからどこかで対立が生じてしまうのです。
そこでその対立ポイントを把握したりして組織のバランスを取る必要があるのです。
また、既存事業を安定化させるためには利益や規律が必要ですが、反対に新規事業では多くの失敗を経験することになります。
そしてこの2つの相反する態度を両立することもリーダーには大切です。
役割がとても多くリーダーは大変そうですが、たとえみなさんがリーダーではなくてもリーダーを支援することは可能ですから積極的にリーダーを助けましょう。
もしあなたの企業でも両利きの経営を実現させたいなら責任者や経営者に本書をプレゼントするのもいいかもしれませんね。
リーダーは深化と探索を両立できるようなリーダシップを発揮しなければならない
まとめ あなたも両利きの経営を目指そう!
いかがだったでしょうか。
本書ではイノベーションを事業の成熟を両立させるという極めて難しい問題について切り込んでいます。
また、両利きの経営を実現させるのはリーダーの手腕にある程度かかっていることもわかりました。
大変難しい問題ですが、組織が一丸となれば両利きの経営を実現させる風土をつくることができると思います。
なのでぜひあなたの職場でも両利きの経営を実現させてください。
ということで今回は以上になります。
それでは、また!
子供に興味がないはなぜ?後編
わからないのは「子どもの知識がないから」
そんな時に、赤木和重さんの「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」を読み、「子どもの姿に感動するには何が必要か」という一節があり、心を惹かれた。
そこで
一つは、子どもに学ぶ姿勢です。子どもは私たちがもっている価値観をはるかに超える豊かな存在です。子どもを教え込む対象として見ている限り、たとえそれが善意であったとしても、子どもの姿から感動することは少なくなるでしょう。
これはまあ、わかる。僕は子どもを「教える対象」として見る傾向が強いことは、認めざるを得ない。
そしてもう一つ、赤木さんは「発達検査で用いられる「はめ板」課題を例に、次のように言う。
もう一つは、発達や障害の知識、その子の生活の歴史を学ぶことです。…1歳半ばの子どもが、「え〜っと、この円板はこっちじゃなくて、あっちかなぁ」と「〜ではない〜だ」と試行錯誤している様子です。私たちはこの姿を見て、「すごいぃぃぃ!」と思います。それまでには見られなかった新たな発達を創造する姿に感動するからです。しかし、こうして感動できるのは、私たちが「一次元可逆操作」や「〜ではない〜だ」といった発達の知識を学んでいるからです。もし、学んでいなければ、「あ、できた」だけで終わっていたかもしれません。もしくは、「お手つきなしでできるようになるにはどう教えたらいいかしら」と、「さらなる」教え方を考えていたかもしれません。
なるほど。感動を可能にするのは知識なのだ。発達や障害の知識、その子についての知識がないと、その子について感動することもできない。赤木さんはこうした議論を元に、「保育・教育の原点は子どもの姿に感動すること」といい、そのために、発達や障害について学ばなくてはいけないと書く。
こういう言い方をされると、僕にとっては納得しやすくていいなあ。「子どものことがわからないのは興味がないから」よりも「子どものことがわからないのは知識がないから」の方が、よほどトレーニング可能な気がして気分が楽だし、知識大事派の僕には受け入れやすい。知識があれば、子どもを見るときのレンズの解像度が上がって、子どもの世界を想像して、そこに沿ってアプローチするのもやりやすくなりそう。
というわけで、勉強だなー。子どもの発達についての本を読んで、「子どもの世界が見える」人がどうやって見ているのか話を聞いて、自分でも実践して。先は長い。
子供に興味がないのはなぜ?前篇
「書くのが嫌い!」な子への保育スタッフのタイプ
先日、この風越ワークショップの中で、僕もライティング・ワークショップの体験会をした。絵本の読み聞かせからお話のタネを探すワークをしたのだけど、そこで、「書くの嫌い!」と言って全く参加しようとしないある小学生男子がいた。僕が「わあ、むっちゃ嫌がってる。無理やりやらせるのも良くないし…」と手を打ちあぐねていたところ、ある保育スタッフの女性がその子に関わり始めて、最後にはその子と一緒に文章を書いていた、という一コマがあった。あとの振り返りで、そのスタッフは、
嫌だ嫌だとは言ってたけど、私がそばに行って「どこか行こうかなー」とつぶやいても、ついてこないんだよね。だから、ここにいたい気持ちはあるんだ、葛藤があるんだなと思った。
と言ってて、そこからどうやって一緒に書くようにしたかを話してくれたのだけど、書くのを嫌がる子にそういう言葉がけから入るのってホントすごいなと恐れ入った次第。書くことについての知識自体は彼女よりも僕の方が数段上のはずなんだけど、ちょっとかなわないな。
「子どもから見た世界」を知ることへの苦手意識
僕は中高生を相手にコンテンツの質を柱にした授業をしてきたこともあるし、「まずは知識大事でしょ」「知識ないのに自分で考えてもろくなことにならないでしょ」という僕自身の価値観もあって、どうしても「学習者から見える世界」を見る・想像するというのが苦手だなと自覚している。「今のあなたがどう感じるかはさておき、これは先人が価値あると認めてきた知識なんだから、つべこべ言わずに全て学びなさい」と押し付けたい気持ちがあって、自分の子どもには遠慮なくそう言うし、「教養主義」を掲げる前任校でも似たようなことは言ってきた。まあ、お勉強が得意だった人間特有の知的マッチョ主義なのだろう。
一方、風越学園の、特に幼児教育に関わるスタッフは、みんなごく自然に「子どもから見た世界」「子どもにとっての意味」を考えてるし、子どものちょっとしたことをとても面白がっている。正直なところ、僕には「それ何が面白いの?」と思うことも多々あるのだけど、風越の保育スタッフが、「子どもから見た世界」を楽しんでいることは事実だ。こういう視点は僕に本当に欠けてて、特に今回みたいなケースで、自分の「子どもから見た世界を想像して、そこにアプローチする」弱さを感じてしまう。
ということで前篇はここまでとさせて頂きます。